家具の配置を変える
部屋の模様替えをしました。
その1.机
before
・壁に向かっている
・壁にくっつけてある
・部屋のドアに背を向けている
・窓が右側にある
という配置でした。
このような感じ
壁に向かってくっつけてあることに加えて、右側に背が高い本棚を置いてあるので圧迫感をより高く感じていました。
また、窓も本棚も右側にあることで光をさえぎって机の上に光が入らなかったと思います。
天井の電灯には背を向けていたので背中でその灯りをさえぎっていました。
何だか暗いなぁという感じ。
それが
after
・どの壁からも離れている
・窓が左側にある
・部屋のドアが見える
というように変えました。
このような感じ
まず、圧迫感が違います。
もう少し窓から離れているとベストかなとは思いますが、壁にくっつけていないことでこんなにも違うとは!と驚いています。
また、窓が左側にあることと本棚が目に入らなくなったこと、部屋の電灯に背をむけていないことで机の上がとても明るいです。
部屋のドア(出入り口)が見えるということは「いつでも出入りできる」という心理的な安心につながるのだとか。
私自身は出入口が見えることで空間の広さを感じていて、これもまた圧迫感の軽減に役立っているなぁと思います。
どうなのだろう、と数年(!)考えてはやめていた家具の配置がえ。
やってみてよかったです。
自分を生きている人
吉藤オリィさん、という方のインタビュー記事を読みました。
NHKの番組にも出演されていたようです。
記事を読んで、自分を生きているってこういうことだ、と感じました。
印象的だったのは「人生は有限」という言葉です。
オリィさんと同じように私も「人生は有限」といつも唱えて意識してきました。
私の場合、そこにはいつも大きな焦りがありました。
ぼーっとしていてはいけない。
いつも時間と追いかけっこをしていました。
何が出来たのか。結果は出たのか。何とかしなければ。はやく、はやく。
もっともっと。
その頃の私は不安を無くそうと必死で、それ自体を人生の目標としていたことに気付きませんでした。
そうやって段々と追い詰めて、30歳で心も身体もつぶれました。
そして去年の秋、初めてのナスィアをした後。
「私はいつまで生きられるのだろう?」という思いをまたはっきりと感じ始めました。
「必ずいずれ死ぬ。どんな物も使い続ければ壊れるように、身体も同じ。だとしたら私が今使っているこの身体はいつまで使えるのだろう?」と。
それはこれまでとは違うもので、絶望や悲しみ、焦りは混じっておらず、静かな思いでした。
「人生は有限」という思いも変わらずあります。
でもこれまでとは何か変わっているのです。
変わっていく。変わらない。
両方がある。
そんな風に感じています。
私の人生がどれだけ残っているのかわかりません。
明日なのか、3年後なのか。
また冬を過ごることはできるのか。
私は残りの時間残りの人生は…
私の心も身体も思い切り使いたい。
感情を思い切り感じたい。
私はこの世界の何に「私」を使いたいのだろう
そのはっきりとした答えはまだ出ていません。
でも答えはもう出ているのかもしれない。
「やりたい」と感じたことをコツコツしていっていること。
大きな、人生が激変することではないかもしれないけれど、その一つ一つの積み重ねこそが、答えを探している問いかけに向かっていて。
そして、それが答えでもあるのかな。
女性であることを思い出すこと①爪のお手入れ
爪のお手入れに行ってきました。
私は爪のお手入れがとっても苦手です。
爪切りでちゃちゃっと切って完了です。
でも爪切りで切っていると、ささくれたりめくれてきてしまうのです。
ネイルサロンに通っていた頃もあったのです!
ですが、あの姿勢で長時間座っていることが耐えられなくて…
それに気に入っているサロンは予約が取りにくい。
今!今日してほしいの!という短気な私は段々と予約をする気もなくしていきました。
そんなこともあり、長年ネイルサロンから足が遠のいていました。
そんな私が最近ふっと思いついたのがロフトにあるネイルサロン。
完全予約制ではないので、飛び込みでいけました。
お手入れのみということで所要時間は30分!
これは続けられそうです。
ぴかぴかになった爪を見て、また一つ「女性であること」を感じることができました。
荷物の段ボールの開け方にも変化が起きました。
お家に帰ったら届いていた荷物、時間がかかってもはさみでチョキチョキと切って開けたのです。
これ、今までの私は爪先を傷つけるなんてお構いなしでして、豪快にテープを引きはがしていました。
自分を大切に扱うってやっぱり良いです。
タイトルに「①」とつけたのはまだまだあるからです。
オトコらしさを求めて生きてきた私がどうやって自分自身は女性だったと感じ始めたのか、また書きたいと思います。